2016.10.17 Monday

毎日カレーを食べるブログ

 カレー味の完全食を食べた。ソイレント顆粒バターチキンティッカマサララムサール条約批准バージョンである。これで、本来の意味でのカレーを食べずに更新を続けてちょうど一年になる。往年のファン達はもうここを読んでいないだろうか。当然そうだろう。他にもカレーを食べるウェブログは多数存在するし、食べログの公式キュレーターだって似たような事をやっている。私よりカレーへの情熱を持った人間、文才に溢れた方々は巷に溢れているのだ。彼らが365curryの跡を継いでくれるに違いない。否、いささか自嘲的にはなるが、最初から誰かに繋ぐようなコンテンツではなかったのかもしれない。大きな事を書いてはみたが所詮は素人の手習い。レビューや分析に命を賭ける連中には及ぶべきもない。そう、コンビニやレトルトに手を出した時点でさっさと看板を下ろすべきだった。
 それが出来なかったのは、日参してくださる読者達の存在があったからだろう。彼ら(You!)は時にコメントを残し、ウェブ拍手やウェブ投げ銭、アマゾンの乞食リストを使った支援、ニコニコ動画で口座番号を晒した直後からのカンパ、家事手伝い、開店資金の援助、オフパコ、人身売買、武器密輸、フリーメイソンへの入会斡旋まであらゆる分野で私を支えてきてくれた。
 では、何が私をここまで追い詰めたのか。顧みるに、潮目が変わったのは、モンサントと関わった時だろう。
 始まりは一通の電子メールだった。ウェブログの一角に小さな広告を出すだけで月百万円もの金が入るという、今般小学生でも引っ掛からない文面である。当然私とて無視を決め込んだのだが、毎日私の起床時間に合わせてメールは届き続けた。更に、どこから入手したのか私の携帯電話に留守電が入った。
「コンニチワ、モンサントノ、ビルデス。ゴテンショーバクシンケン」
 流石に少し面白くなって、つい話を聞いてしまったのが運の尽きである。一時間も経たぬ内、JR新宿駅東口の雑居ビルに事務所を構えるモンサントで明日会いましょうと、私は上機嫌で申し出ていた。
 ウェブ広告の契約条件は破格だった。最初のメールに書かれていた通り私は百万円/月の収入を得て、最早サポートセンターのアルバイトに勤しむ必要はなくなった。
 しかし、慢心と破滅は表裏一体である。間もなく私は無断遅刻に無断欠勤を繰り返すようになり、十年余で培った信用を瞬く間に失った。加えて金をバックにした不遜な態度である。かつては記事を書いたりフェイスブックに投稿するだけで集まったいいね!はすぐに消え失せ、飲み会も私抜きで開催されるようになり、ラインではグループから外された。そのような凋落ぶりにも関わらず、いや、むしろそこから目を背けるように、私はモンサントの広告を打ち続けた。危険と言われる遺伝子組み換えカレーにも手を出し、行きがかりからソイレントの宣伝まで買って出た。最早私を褒めてくれるのはビルだけだったからだ。
 あれから一年。暗闇の中、古びた液晶パネルに映る顔は目が落ち窪み、肌はダストボウル時のグレートプレーンズを思わせる。やせ細った指先から異常に分厚い爪だけが、猛禽類の鋭さで弧を描く。
 どこで間違えたのだろう。ソイレントか、モンサントか、或いはカレーに魅せられた瞬間だったのか。そうだ。カレーなど毎日食べると言わなければ今でもささやかで温かい人生が続いていたに違いない。カレーが憎い。カレーが、インド人が、大槻ケンヂが。スパイスなどこの世に存在しなければ。ニール・ヤングの声が聞こえる。そう、スターバックスとモンサントはいらない。
 嗚呼、クミンの天使が呼んでいる……。
2016.05.24 Tuesday

儂は人間の屑じゃよ

 今年初の熱中症である。何事もお初は気持ち良く、昼に食べたうどん、かしわ天、野菜天、温泉卵百個を笑顔で吐き出した。学校は阿鼻叫喚の渦に巻き込まれた。これであだ名は卒業までゲロ子から変わらぬだろう。おいゲロ子が吐くから机くっ付けるのやめようぜえなんて言われて一人あぶれ、気を遣った担任と差し向かって給食を食べる日々がやって来る。まことにもって気まずい。牛乳のお替わりもきっと許されない。吐くから。排泄に厳しい学校社会である。今風に言う所のスクールカーストか。確かに生徒の間では確固たる階級が存在する。力の強い奴がクシャトリア、身体が人並以上ならばヴァイシャ、ゲロ子はシュードラ。今後の振舞い次第でアウトカーストに落ちるかもしれない。頭が悪くても足さえ速ければクシャトリア付近に潜り込めるのが鬱陶しいところで、逆にテストばかり良い点を取るとやっかみも含めて下へ下へ落とされる。書いていて憂鬱になる話である。
 時に猫はしょっちゅう吐く。外猫は特に顕著で、食べられる時に食べないと死んでしまうから早食いで詰め込みすぐ戻す。しかし彼らにとってそれは大きな意味を持たず、戻した物をまた食べる事もざらである。また、毛が生え変わる時節は胃から毛玉を吐くので、食事と関係なくても自在に戻せる。人間界で言うところの南方熊楠みたいな能力を生まれつき持っている。人間よりも数段から数倍は強靭なのである。比べてゲロ子のサバイバビリティと言ったら、寝てもすぐ目覚めるしお腹は壊すし貧血と熱射病で吐く。寄生虫よろしく周囲に頼って寄り掛かってやっと生きている。難儀なものだと思う。とは言え、人間は猫と違って群れで生きる動物だから、単身でどうにもならないのは取り柄の一つくらいに考えて前を向くしかない。
 スクールカーストにおいて、金持ちが下層に追いやられるケースがままあり、体育の成績が良かろうと、条件が揃えば簡単に虐められる。ここで大半の人間はスネ夫タイプの嫌味な少年を想像するのだが、公立学校に通うような金持ちなんてものは豪邸に住まないし生活レベルも一般人と大して変わらない。精々がハワイ旅行に行ける程度のものである。なので、普段の学校生活ではお金の部分に触れられもせず、都合の良い時だけそこを持ち出しリンチの種にする。子供が残酷という言説は、こういった都合の良さや優勢火力ドクトリンを何の疑問もなく、むしろ正義の執行と見做せる点に由来する。丸切りアメリカである。
 であるなら、日本はずっと昔からアメリカングローバルの波を被って来たのかもしれない。もしくは日本のサブシステムがアメリカ並の幼稚さから抜け出せない、一億総子供社会なのかもしれない。これらは全てゲロ子の逆恨みに過ぎないのかもしれない。いずれにせよ、学校なんて恐ろしい場所に二度と戻りたくはないし、今となっては会社もちょっと。
 麻生太郎は金だけ持っていて力が無い奴はカモにされるような事を言ったが、確かに彼の顔は、その過程で歪んだような造りだった。口元も吐き過ぎて隙間が出来てしまった形だ。もしかすると、彼が記者会見を開くたび、おいゲロ男が出てんぞなんて当時の同級生は笑っているのだろうか。薄ら寒い想像である。
 社会は突き詰めると、虐めの離合集散フラクタルで成り立っているのかもしれないね。
 また会おうぜ!(亀田二号風締め)
2016.05.22 Sunday

二十五日は泡姫の日

 病院に行くと常に誰かが喧嘩している。大体は親子で、先に切れるのは子の方が多い。稀に親御さんから手を出す事もあるが、怒りに堪え兼ねて引っ叩くのではなくうんざりげな手付きで、拳を握ることはない。子供はいきなり殴り掛かるも顔には行かず、肩を叩いて引くに引けなくなり頑張って怒りのテンションを上げる。どちらも本当は手など上げたくはない。
 いずれにせよ、親子が殴り合うのは傍から見て非常に気まずく、制止に入るのも一苦労である。そんな訳で誰もが周り囲むように傍観し、間から看護師さんが割って入る。二人を引き離すと、親子喧嘩だから心配はいらぬ旨を繰り返し呼び掛ける。何が心配ないのかよく分からないがとにかく、周囲もそんなものかと納得の空気に変わり、仲の悪かった別の親子は決まり悪げに視線を交わす。普段はやかましい中年も、暫く腕など組んで神妙な表情を浮かべる。キリコは高鳴る胸を抑える。人様の喧嘩って、どうしてこんなにワクワクするのでしょう。
 繁華街を歩くと結構な頻度で喧嘩に出くわす。時には本当に剣呑な空気を漂わせ、警察の介入なしに収まらないものもある。そういうのは十メートルくらい離れた柱の陰から目を輝かせ観戦するが、威勢だけ良いくせに怪我をするつもりはない老人が、痰混じりの声で怒鳴り散らす喧嘩もどきは近くに寄って止めたり、からかったりする時もある。十年も昔の話である。今はもう喧嘩に関わりません。自分でもしないし、他人のに巻き込まれるのも面倒臭いからね。
 経験則から、六十台後半で現役サラリーマンか、引退して間もない辺りの爺さんはやけに好戦的というか、我を通して当然と思っている節がある。特に女性に対して横柄で、逆に自分より格上と見做すと絶対に関わらない。小市民的で実に好もしい。でっぷり太って暴力の欠片も身体に残していないのに、若い頃の武勇が今も健在と思い込む、そんな爺さんが意気がるのに出くわすと、心から応援したくなって、今の話ではないよ、昔の、しかもフィクションだけれど、例えば信号を無視して歩き出した所に「さっすが悪ですね!育ってきた環境が違うから、信号なんて規則は守っていられない!というかコンパスが長いから飛び出しちゃうんですよねえ。かっこいいなあ、はっは!(本宮ひろ志風笑い声)」なんてエールを贈ったり、道端で赤の他人を褒めまくったものである。みんな怒りながら走り去った。奥ゆかしい人ばかりだった。
 恥ずかしい武勇伝でした。
 病院の喧嘩で面倒臭いのは、気まずくなったからと言って自由にその場を立ち去れない点である。何しろ全員が全員、会計か診察を待っている。気分が悪いから席を外したいと受付に話す手もなくはない。しかし、その元凶どもがすぐ近くに座っている訳で、万一彼らから謝られてしまったら居たたまれなくて二度と病院に来られないかも知れない。そんな理由で次々に病院を変えれば、かかりつけ医を推進する政府に反抗する異分子として公安から厳しいマークを受けるのは確実だし、行き着く果ては玄界灘の孤島にそびえる矯正院か、皇居地下強制労働所くらいしかない。そこでは給料日の度に高額の覚醒剤が出回るので、患者は段々とそれ無しでは生きられなくなり、廃人と成り果てた暁には底なしの空井戸に放り込まれる。
 シャブ中毒の身体は臭く、彼らの廃棄業務など誰もやりたがらない。それを買って出る内に仲間や監視員の信頼を得て、ある日廃人を捨てに行くと見せかけ、空井戸の横穴から這い出して地上に戻った奇跡の患者が私でございます。
2016.05.20 Friday

そうかおまえがそうかかい

 オレンジ味のコカコーラを買ったところ、マウンテンデューの出来損ないみたいな味でございまして、飲み切ってから今に至るまでずっと気持ちが悪い。レモンコーラは美味しいのに、どうしてオレンジは上手く行かなかったのでしょうか。甘いからか。甘さに甘さを重ねると味が殺し合いを始めるのか。しかし、インドの清涼飲料は甘味のミルフィーユという話を聞きますし、ベトナムやブラジルの珈琲はさながらマックスコーヒーのごとく甘い。珈琲はさて置き甘味自体に罪はないような気もします。例として付け加えるに、何度か訪れた台湾ではペットボトル入りのお茶がことごとく甘かったのをよく覚えています。
 上記四ヶ国に共通する点から顧みるに、暑い国では甘い飲み物が尊ばれるのかもしれません。一方、ロシアンティーは苺ジャムを入れて飲むそうで、寒ければ寒いで糖分が必要なのは間違いなく、生きているだけで体力を削られる土地においては死ぬ前にエネルギーを補給せねばならないという事でしょう。であれば北海道や沖縄も甘い物で満たされているのでしょうか。北は練乳、南はサトウキビ。東京に住むキリコはそんな心配と無縁の生活を送っており、オレンジコーラの味に顔をしかめる余裕を持てますし、特に春秋は、全く死の気配を感じずだらだらと過ごせます。恵まれた環境で御座います。これで東京オリンピックが中止になればもっとよろしいのに。
 そんな事を考えていると、冗談でも何でもなく怪しい雲行きになって参りました。電通が子会社を通して賄賂を贈ったとか贈らないとか、フランスでは本格的な捜査が始まり、イギリスに至ってはロンドン開催を叫んでいます。実際、前回の施設を流用できるロンドンはお金がかからなくて良いのではあるまいか。東京と開催を争ったイスタンブールにマドリッドでは新たなスタジアム等々の建設が間に合わないそうで、まだ四年もあるのにオリンピックの準備って大変ですね。大層な施設を造らなくても良いと思うのですけれど、お金に群がるハイエナみたいな方々が五月蝿くてそうも行かないのでしょうか。そのハイエナを全員消してしまえばよろしいのに。スポーツイベント全般は、建前だけでもお金より文化ではありますまいか。
 本日は疑問が多い。昨日の推定表現と同じく、結論を焦る気持ちがキリコの中に蔓延しているのでしょう。もっと無駄な事を挟み挟み、冗長に書いて行きたいものです。何しろ文章というものの大半は無駄から出来ています。どのような類の文章でもそう。誰だったか、小説とは無駄な文章のバランスと言いました。要点だけをまとめると無味乾燥な箇条書きに終始してしまう。本当に大切なのは、必要以外の文章を読ませる事である。そんな意味だと思います。無駄を読んでもらうため、書き手は一見役に立たなそうな知識を山ほど仕入れ、無意識レベルで使えるよう鍛錬し続けます。
 一冊の本を書くために百冊の本を読むとも言います。百冊分の情報を詰め込むのではなく、九十九冊から少しずつ取り出すのです。情報だけでなく、文体や個性も然り。
 スポーツに関して電通の仕切りは殆ど独占状態だそうです。博報堂と競っていた時期もありましたが、今では完全な一強です。ですから、電通にお金を出す側はその使い道に口出しすらできません。闇から闇です。招致委員会の長がいて、その息子がいて、彼に金を渡したコンサルティング会社があって、登記上の住所を訪ねたらマンションの一室で、会社自体は畳まれていて、明らかにペーパーカンパニーだったとしても、文句一つ言えません。日本オリンピック委員会の責任者が国会に出てきて金の行く先は知らんと臆面もなく告白するくらいです。広告だなんだと言いつつ合法ヤクザです。
 ヤクザが絡んだ以上、東京五輪もさっさと畳んで今後の開催は全部アテネかロンドンに絞りましょう。さすれば箱物も無駄にはなりません。
2016.05.19 Thursday

著作権を盗み出せ!

 海に行きたい。塩のない海に。それは湖です。バイカル湖にはアザラシの群れが泳いでおります、先生。アザラシとセイウチの違いはどこにあるのでしょう。牙の長さか大きさか、はたまた性格でしょうか。言葉すら通じないのに性格なんて分かるものでしょうか。分かるかもしれません。何せ私はたまに猫と通じ合った気分になる。しかし、猫は気紛れとか我が侭というレッテルを貼った上で付き合うからそうなるのではないでしょうか。犬と猫は動物の中でも特別では。人間にとっては。そう、人間にとってどのような位置付けにいるかで、内面の濃淡を決めつけているに過ぎません。私はミジンコに大した注意を払いませんが、それが大好きなリケジョにとっては一匹ごとの顔立ちから動きの特徴まで見えるのではないでしょうか。なるほど確かに仰る通り。私は台湾が大好きな分、他の凡俗どもよりミジンコへの思い入れも深いやもしれぬ。やも知れぬかも知れぬって先生はいつも推定ばかりです。だって知らない事を知っているとは言えないんだぜ。
 そしたらアザラシとセイウチの違いなんて分かりっこないではないか。
 バイカルアザラシとバイカルセイウチ(仮)の区別は後にして、茨城には霞ヶ浦という湖が存在し、滋賀県にはそれよりも大きい琵琶湖、鳥取にはもっと小さい中海と、狐につままれたような名前が並ぶ。これらの名は日本が一つの国に統一された今も変わらない。人間の主観は後々の客観を陵駕する、と言うより先に決めた者勝ちな部分で世界は出来ている。むしろ知られていない物事は名前だけ適当に付けてしまうのが楽なのかも知れない。また、断定できなかった。
 人類の歴史上、名付けは支配であり分断でもある。神が光りあれと命じた途端に光と闇が区別された話は有名だが、それ以前に光はなかったか。そんな馬鹿な話ではなく、単に神が光を認識出来ていなかったに過ぎない。原初は光と闇が渾然一体の混沌であった表現すれば神の功績も幾ばくかは認められるやもしれぬ。あっまた推定だ。何たる弱気。
 神さんが何か成したのを認めるとして、マーブル模様(B'z風に書くと欲望ぐるぐる)が一言で綺麗に二分割されるだろうか。実に怪しい。それって何か悪い力を使ったか、向精神薬でも飲んだんじゃないの。それは大いにあり得る。何しろ精神分裂病の人間は大抵誰か、存在しない者の声を聞く。声の聞こえる世界は、もはや目に映るままではいられないだろう。直線は曲がり、人の顔はかつて殺したモルモットにすり替わる。自分が信じた物は、それを理由に信じられない。部分的な混沌である。故に、向精神薬を飲んで世界に秩序を取り戻さなければならない。
 話を戻すと、YHVHさんも目の前の光と闇を見分けられなかったので、切れそうな所で切って片方に名前を付けたら上手く行ったのである。名付けたから見えただけの話である。ところでYHVHは発音できない名を無理矢理アルファベットに落とし込んだそうで、言い換えれば神が何者かを断定したら人間と変わらない水準になってしまうから、上位の存在に留め置くため捻り出した智恵である。断定が三つ続いた。
 同じ事はクトゥルフ神話にも書いてある。旧支配者の司祭であるクトゥルーと彼が眠る海底都市ルルイエは、人間には発音できない。無理矢理アルファベットに直したものがCthuLhu、R'lyehで、どう読んだら良いものか良く分からないが、そこはYHVHと同じく分かったような分からぬような曖昧さの中に留めおくのがよろしかろう。読めたとしたら神格化されたか、或いは正気を失った証拠なのだから。
2016.05.18 Wednesday

アイアンキング二〇一六

 放っておくと一年も百年も一瞬で過ぎてしまいます。何かを始めるたび、いちいち心機一転決意を新たにする暇などなさそうです。同様に、過去を消すのも面倒臭い。と言いますか、あらゆる場所にキャッシュが残っている限り、最早自分の影から逃げることなど不可能なのではありますまいか。そう、二十一世紀、情報だけが高度化されたディストピアにおいては、カンボジアの地雷原か南極の大氷河を歩くがごとく、石橋叩き棒でもって目の前の地面を確かめ続ける以外に負い目から逃げる術はないのでありましょう。それか森に入る。
 ディストピアSFの多くが森に消え行く主人公の後ろ姿で終わるのは、人界の理が及ばない土地がある事を意味します。太古の昔からそうです。山岳や河川が信仰の対象として畏れられてきたのは、富士山や神奈川(神を大いに示す川)の例から明らかなのに対し、森は常に恐れの対象でした。長老樹に注連縄が巻かれるケースこそあれ、彼を取り巻く樹々の下は、昼間から日光が遮られ、夜も星月の支配が及ばない密室です。富士の裾野に広がる森を樹海と呼ぶのも、板子一枚下は地獄の荒海と変わりなく、心底恐れられた証左でしょう。
 森の話はさておいて、懲りずにウェブログなど再稼働しました。前のデータは消しましたが、テンプレートなどは作り直すほど大した物でもないので流用します。タイトルは少し変えました。見れば分かるだろう。で、何に懲りないのかは皆様の胸に訊いてみなさい。きっと夢や希望や未来や怨念や溶融した炉心が止めどなく溢れてくるよ。
 冒頭に百年と書いたのは、二〇四五年問題と関係しています。これは同年辺りに人工知能が人類の知能を超えてしまう可能性を危惧する話です。科学者や支配階級の方々は、どうも人類が地球で一番知的と思いたがるようで、そもそも蟲や猫より我々毛のない猿が高等な根拠など何処にもないのに、一位の座から転げ落ちる事を何とか避けようと四苦八苦しています。
 仮に人工知能が人間に勝ったとして、何の問題が生ずるのかキリコにはよく分かりません。そうなれば人類は知性をディヴェロップメントに向けなくて良いのだからリソースはインクリーズしてソリューションも沢山生み出せるのではないでしょうか。キリコに関して言えば、日常の何やかやを人工知能丸さんに受け持ってもらって、小説やウェブログを書いたりスプラトゥーンを頑張ったり出来て非常に嬉しい。更に進んで肉体から解放され、人工知能丸さんの庇護の元、情報空間で読書や惰眠を貪れたら最高です。そこでは時間空間が意味を為さず、全ては擬似的自我の中で最小単位の神格と化すでしょう。
 まあ全部が全部投げっ放しもどうかと思いますが、何も投げず森で暮らすのもしんどいに違いありません。ですからどうか、人類を超えた人工知能さんには、情報空間から逃げた気分を味わえる森スペースも確保しておいて貰えるよう、二〇一六年からお願い申し上げる次第です。
カレンダー
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
30      
<< September 2018 >>
作者
ウェブサイト:キリコックス
メールアドレス:mailアkirikox.com
 

リセント
カテゴリ
アーカイブ
コメント
ブックマーク
サーチ
その他
携帯
qrcode
お世話様
無料ブログ作成サービス JUGEM にほんブログ村 小説ブログへ
にほんブログ村