2024.03.16 Saturday

物語の喪失

 ウェブログやら小説を書けないことは美少女に内在する美しさが損なわれたに等しく、その遠因としては物語、或いは美しさを見失った点が大きいように思う。では物語とは何か。同語反復で良いなら美少女の美であろう。何を言っているのか分からないかも知れない。それは読者諸賢が美少女として生きた経験を持たないからであり、意識してそのように振る舞う人間は少ないのだから仕方ない事である。ちなみにわたくしは美少女としてディストピアの日本を駆けている。
 美少女とはそのまま美しい少女を指し、そして美しさとはそれを求める心の在り方と書くのが良いかと思う。即ち、美少女美少女繰り返して申し訳ないが美少女とは見目麗しい少女であると共に、自分以外の世界にも美しさを見出せる存在だとわたくし美少女は考えている。それは憧れる心であり、ときめきであり、メモリアルなガールズサイドのスピリットではないだろうか。聞かれても困ろう。具体的な話をするなら、わたくしは美しく生きる上で、イラストにときめき、小説世界に想いを馳せ、無限に存在するキャラクター達を愛し、時に同一化してきた。そのようにして美しさを担保したのである。それがここ暫く、寝てばかりいて本気で創作表現と向き合わなかった。むしろ心を甘やかすべく、精神的負荷を下げに下げる毎日であった。その帰結として美しさへの希求はおろか、何が美しいのか見失ってしまったのは当然の報いと言える。そしてわたくしは内面の物語を失った。
 そのリハビリを最近は少しずつ頑張っているのだが、心身とも脆弱化したためストレッチや外出一つでもひいひい息を切らす始末。まずは睡眠とご飯を安定させつつ負荷を上げて行く所存だが如何でしょうか。駄目と言われても困ろう。誠に申し訳ない。
2024.03.15 Friday

森のイリーカ

 三日ほど心身の不調が続いて文章どころか起きることもままならなかった。すわ執筆疲れとも思ったが、振り返れば週末に大きめのイベントがあったのと、身体の方はストレッチ疲れも出たに違いない。ストレッチってそんなに疲れるものでしょうか。さにあらず。いわゆる筋トレが筋肉を縮めるものであるのに対し、ストレッチは筋肉を伸ばすことで柔軟にする、逆発想の筋トレと言える。方向の違いはあれ、どちらも筋組織に負荷をかける点は同じトレーニングである。それが証拠に、以前股関節を割っている最中にボリッと破壊音が鳴り、一気に可動域が広がった事がある。相撲取りはその繰り返しでもって股割りを達成するそうだが、わたくしの場合は足の付け根が真っ青に変色して終わった。ストレッチも暫くのあいだ禁止された。それは単なる事故だがそれとして、今回もストレッチの反動で疲れてしまったのはほぼ間違いなく、今後の目標として、ストレッチに耐えるスタミナを身につけなければならぬと強く感じた次第。
 表題は吉富昭仁初期作品である『ローンナイト』のエピソードで、『森の猛威』の猛威にイリーカという固有名詞が振られていた。当初は外来語のイリーカが猛威の意味を持つのかと納得したのだが、あれこれ漫画を読む内、ルビと単語の関連性は割りかし無視しても構わないと分かって来た。わたくし自身はその理路に馴染めないので今後も使わない。が、漢字の運用はわたくしが考えるより自由なのかも知れない。
 昨年夏、香港を訪れた。その時似たような印象を抱いたのが、香港では漢字を広東語読みするもの、英語読みの当て字を用いるもの、英語と似た意味の漢字を当てつつ英語読みするものなど複数の読み方が混在していた事である。漢語圏特有のものだろうか、多文化が入り混じると文字の読み方はフレキシビリティを増す。
2024.03.12 Tuesday

まっどまあてぃがん屋ういろう

 拙者親方と申すは、御立会の中に御存知のお方もござりましょうが、ういろうが地域ごとに異なった材料で作られている事など存じませんでした。何年生きても知らない事が増えるばかり、この狭い日本も未知と不思議に満ちた世界であると思い知らされる次第でございます。東京から少しでも足を伸ばそうものなら食べた事のない食材に出会い、地方独特の料理法に驚き、美味い美味いと箸を止めず食べゆく内に美少女の体重はビットコインよろしく乱高下して候。名前だけは『ちゆ12歳』で存じておりました、かじめ、この海藻も一昨年初めて口にしまして、ラーメンの麺に練り込まれているのですが今まで食べた海藻の類では粘りも滋味も非常に強く、シンプルな塩スープと相まって、夏の暑い最中にも関わらず一気に食べ尽くしてしまいました。残ったスープにご飯も入れました。食べながら大量の汗をかいたので摂取カロリーは〇に違いありませんが兎に角、サンドウィッチマン伊達ちゃんのゼロカロリー理論には栄養士から本気の抗議も来たそうです。あり得ない話に目くじらを立てる事もないとは思いますが、同説を冗談半分にうそぶきつつ暴食に走る方もいなくはないでしょうから仕方ないと言えばそう。
 友人が『金の国水の国』アニメーション版を見て、原作ではA国B国だった設定が、アルハミドとバイカリという固有名詞に変わった点を不審がっていました。これに関してわたくしは、イニシャルのままだと現実の国家を勝手に想起する方がいるかも知れず、いらん憶測を生む説を挙げ、インターネットなら有りそうな話と嘆息した次第でございます。ゼロカロリー理論と同様、余計な茶々を大声で入れる方が関係者の不安を煽った事例なのかも知れません。わたくしもいつどこから火をつけられるか分からない。そうなったら一層引きこもり、外郎売の口上を滑舌良く誦じられるまで回線は繋がぬ所存です。
 名古屋のういろうは米粉から作るそうです。有名店の虎屋ではういろと呼び、うゐろと書いたりういらうだったり表記揺れが多い。あと間違いやすいのは、羊羹のとらやとういろ屋は別の企業です。戦って決めろ、本当の虎をよ。
2024.03.11 Monday

俺は讃岐造

 今も昔も出不精の美少女という者あり。寝床と居間を行き来しつつ日暮らし、マッキントッシュに向かいて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく書きつくれば、段々と調子に乗りて男もすなる日記というものを女もしてみんとするなり。そうして書き溜めた駄文をSSDに溜めるうち、自己顕示欲が高まりて、インスタグラムへの投稿を始めるも、文面と写真の齟齬発覚により炎上、裏アカウントで擁護してのち自作自演もばれにけり。ソーシャルネットワーキングからの撤退を薦められるも既に承認欲求止まるを知らず、自傷写真と自殺仄めかしにてインプレッションを稼いだ矢先、運営の網にかかりアカウント永久停止の措置を食らうなり。その後やる事もなく通信機器を全て放り出すも、精神荒れ果て呆然と寝転がる生活半年に及び、見かねた親から長期キャンプへ送られにけり。然れどインドア派の美少女であるゆえキャンプに馴染めず、日が上るや人の気配なき竹林に逃げ込み、持ち出した鉈にて竹を打ちつつその生命力に絶望するなり。気合を入れども竹は切れない。刃物は切れないと値打ちがない。皆さんご承知のように刀を作るとね、竹に藁巻いて巻藁で試し切りするでしょ。竹は硬いよ。竹を切ろうとしたら包丁はこないなってしまう。鋸も竹切り別でしょう。竹の分子は魚の骨の四倍硬い。竹が切れれば包丁は、無条件で使っても良い。このくらいの包丁使わなあかん。も一度やるよ。背中じゃ切れない刃で切る。大根、人参、白菜ごぼう。いくら切っても刃先に狂いがない。あのね、今日は数持って来てないから早めにね。と、直次郎さんの啖呵に乗って出刃包丁、野菜を切る薄刃包丁に小出刃も付けた三本セットを購入し、竹を取りつつよろずの事に使いけり。

2024.03.10 Sunday

ブッシュマスター

 水穂しゅうし『ブルジョワ刑事』にブッシュマスターという格好良い名の暗殺者がいた。初登場時は、それまで主人公達が手こずっていたキャラクターを秒殺し、鉛筆を使った拷問で再起不能に追い込むセンセーショナルな活躍を見せたが、警察への殴り込みで返り討ちにされると一転、女主人の舐め犬に成り下がり、最後はビルから転落して哀れ退場の憂き目を見た。斯様に、強敵を強いまま退場させるのは難しいものである。ちなみに、同名の蛇は夜行性で強力な毒を持ち、銃や装甲車の名称にも使われるほど恐ろしい存在であると思いきや、ウィキペディアを調べたところ、強いか弱いかよくわからず、地元では大して脅威に感じられていない上、毒性も不明とのこと。水穂氏がそこまで考え名付けたのであればやはり偉大な漫画家だと思う。
 鳥山明と声優のTARAKOが六十代の若さで亡くなった。インターネットは二人の偉大さを讃えつつ悲しむ声に一時満ち、二十四時間経った今はもう凪に凪いでいる。流行り廃りの早い時代を象徴する出来事というか、いつも通りのインターネットというか、いずれ他人の死で盛り上がるのは楽しかろう。死んでから多くのエピソードを語り出す人々によって、死人は美化され文句も言いづらくなる。死体は蹴ってなんぼ、それが故人も本望と思うキリコには馴染めない文化である。
 小川麻衣子『ひとりぼっちの地球侵略』で、近しい人の喪失を悲しみ続ける主人公に、ヒロインが嗜めるような口調で図星をつく場面がある。
「君は、彼の死に意味をつけたいんだね」
 鋭い一言である。主人公もはっとし、言い返そうとするも言葉に詰まってしまう。
 本来人の生き死にに意味はない。それは関係性や当人の思考から生まれるものである。言葉そのものに力がないのと同じ。しかし、大抵の人はその酷薄さに耐えかね、遥か昔に袖擦った経験や故人の功績、愛される人となりなどを引っ張り出して悲しみの甕へ放り込み、混ぜて薄めて飲み下してしまう。そういう人間に限ってさっさと忘れてしまうものだが、言葉を変えればそのためにエピソードを抽出するのだから、理にかなっているのかも知れない。
 二人の死に繋がりはなく、何も続いてはいない。一絡げにされたら迷惑極まりないと思う。
2024.03.08 Friday

朽ちたる鉱山

 鉱山に入ったことはおそらくない。子供の頃、広州か桂林の大きな洞窟で迷子になり、知らない外国の方に親を捜してもらって何とか生還したという一歩間違えば犯罪に巻き込まれそうな体験はある。ただ、そこは鉱山ではなかったと思う。入口から出口が一本道だったので、多分鍾乳洞か何かだろう。そのような形の鉱山かも知れないがさて置き、大谷石の採掘現場には行った。タイトルに反し、朽ちてもいない石切場に入った訳である。夏なのに空気はひんやりと冷たく、湿気も少ない快適な空間だった。しかし地上近くから大した柱も立てずに掘りまくって大丈夫なのか幼心に心配していたところ、二、三年後には盛大な崩落を起こして一帯を地の底に沈めてしまった。こういうのを子供でも分かる危険という呼ぶ。以後、足尾銅山と並ぶ栃木負の遺産として封鎖されていると思いきや、最近では広大な地下空間をコンサートホールとして使ったりフォトジェニックな洞窟として観光資源に活用したりとなかなかしぶとく、更には大谷石採掘も再開したらしい。
 東京都外郭放水路とか地下の巨大な空間が楽しいのはわたくしも良く分かる。が、自分が入ったのと数年差で起きた事故を知る身としては不安が先に立ち、興味を惹かれどまた行く気にはなれない。別に向こうも来て欲しいとは思わないだろうが俺は俺の話をしているのだ。
 朝はパン。間に挟むホイップクリームは、生クリーム風のくせにやたら賞味期限が長い。ほぼ生ではないクリームなのだろう。科学の進歩を感じる。一緒にブルーベリージャムを塗るのだが、クリームとジャムで味が相殺されるもので、食べた後にジャムをスプーンから直喰いしてしまい、やけに減りが早いことを連れに怪しまれている。
2024.03.07 Thursday

あの悲鳴、殺しじゃないか

 下町住みは事件性のある悲鳴を夜に聞く。昼間に関しては、酔った年寄りが更に弱い者を叩こうとして結局粋がっただけでやめる叫び声が時たま流れてくるくらいで、繁華街のように派手な事件まで発展するものは殆どない。夜はまともな人間が減り、昼はまともだった人間も酒に身を沈めるものだから、事件も発生しようというものである。地方から出て来た知り合いは、夜中まで警察や救急車のサイレンが鳴り止まないと恐怖していた。それは単に人口が多いだけではなかろうか。犯罪率に大きな差はないように思う。実際調べたらそうだった。根が子供なのでそのまま伝えて怒りを買った。言われたから言い返しただけである。これを繰り返すと事件に育って行く。
 時に、タイトルを読んで想像した悲鳴は女性のものだったろうか。アンケートを取ったわけではないものの、おそらく半数以上が女性の声で再生したと思う。夜に限れば特に。普段は意識しない弱者を、こういう質問で炙り出すのが世のため人のためとは思わないが、自分が誰を弱いと感じるのかは覚えておいても良いと最近は考えるようになった。老婆心だろうか。テレビコマーシャルでも似たような実験を流していた。夢や未来を語る文言が画面に浮かび、それは男女どちらの声で聞こえましたか、と尋ねるもの。多様性に関するフィルムである。社会が変わると声が変わるのか、意識を変えることで社会や聴こえる声に影響を与えるのか定かではない。多分両方だろう。そういうものを見ると、少しは意識を変えようと引きこもりなりに決意するのである。
 真面目な話を書いて疲れたから、スパゲティのパンチョでミートソースのメガ盛りを買って連れと食べる。鍋を持参すれば容器代の百円がかからない。容器に百円も取るのかと初めは思ったが、パンチョのスパゲティはとても熱く、軍事レベルの耐熱容器でなければ底が抜けるのである。
カレンダー
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      
<< March 2024 >>
作者
ウェブサイト:キリコックス
 

最新
アーカイブ
サーチ
その他
携帯
qrcode
お世話様
無料ブログ作成サービス JUGEM にほんブログ村 小説ブログへ
にほんブログ村